芥川賞受賞の会見で「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」でお馴染みの西村 賢太さんの苦役列車を読みました。
文体はちょっと苦手だったんだけど、とても面白かったです。三人称でかかれた私小説だからか社会への怒りとは別に、作者の自己に対する憐憫や、はたまた悲観的で批判的な自己評価がとてもうかがえる内容がみてとれるところが面白いと感じました。
この本、後半でちょっと物語の流れが変わります。なるべくネタバレしないようにかきますが。文体は同じだと思うのだけど、読んでて前半〜中盤は、とても客観的に感じるのだけど、後半はとても主観的に感じました。三人称なのに。不思議なもんです。これはこんど小説に詳しい人にきいてみようと思います。
前半については、主人公には、憐憫しか感じませんでした。あるいは不快感すら感じるほどです。それは作家がわざとそうかいているのかなと。若い頃の自分がすごい嫌いなのかなって思うくらい。
それが後半になるとすごく共感を感じちゃいました。
なんていうのか、年齢と夢と、諦念と執着と、怒りと許容が色々とごちゃまぜになっている複雑な中でいきている感じがして。
なんていうのか、まさしく今の自分の状況と重なるような感じがあり。
いま、仕事の事とかで結構なやんだり、後悔したり、打ち拉がれたり、それでもなんとか奮い起こしたりしてやってます。
細かい事はかききれないんだけどね。ただその理由の最大なところは「独立した業態」ってところで、ほんと最近はなんで会社に属しなかったんだろうって思う事が多々ある。そこで時々違う軌道に乗せたいとおもう事があるけど、そこでやっぱり邪魔をするのが自分の夢というかやりたい事だったりする。
とても歩みは遅いし、本来の夢と若干ずれもある。でもちょっとずつ、自分のやりた事のための環境をつくってきたんだよね。
それが今の環境で。決して楽ではないけどさ。
それがほんと、楽じゃないんだよな〜。
結局今日も「やっぱりどっかの会社に行こうかな」なんて思っちゃう。
でもそれをすると今まで自分の作った環境を捨ててしまう恐怖がある。
なんだかいつも中途半端な自分の立ち位置にいらいらする。
そんな自分の現状に重なって、ちょっと痛い気持ちになりました。
だけどそんなに今の自分は悪いわけじゃない事をこの前感じた。
先日、ちょっとした用事で名古屋に帰り、そこから高速バスでまた東京に戻ってきた。
高校卒業して最初に就職した会社のビル。そのそばを通過する高速バス。たった一つの通過点。
その時の会社は入りたくて入った会社なんかじゃない。やりたくてやった仕事なんかじゃない。
無理やり自分の少ない選択肢の中から理由をつくって選んでいた諦めの日々だった。
あれから沢山の事があった事をあの時の自分に教えてやりたい。
苦労も多いけど、今とても楽しい事も含めて。
そう思えたから、まあきっと今はそんなに悪くはないんだと思う。
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