先日、去年から通っている朗読教室の発表会でした。
規模の大なり小なりはあるのだけど、やはり人前てまやるのっていいね。一番表現についてはためになる。そもそも人に聞かせるためにやる事なのでね。
元はといえば滑舌があまりよくないと言われ続け、それの矯正を兼ねて始めて、口にする言葉にはかなり意識がいくようになった気がするので、少しは効果あったような気もするのだけど、まだ実際の程はわかんないです。
今回の発表会での出し物は自分が行っている木曜クラスでの朗読劇で、セリフを喋るだけなので、ちょっと普段の芝居とあまり変わらない感じもあり、一人による朗読表現もしてみたかったのだけど、人と合わせるのは楽しいので、なんだかんだ言って楽しく本番ができました。
で、前からと言えば前からなんだけど、またしても言われるのが「良い声してますね〜」です。
なんていうかね。
誤解を恐れずに言うと
「もう声褒められるの飽きました!」バーーーン!!<ワンピース風
いや、もちろんありがたいし嬉しいんだよ。もって産まれた物を褒められるのって、自分にアドバンテージが有ることを再認識できるんで。
でもね、ほら、表現者たるもの、器質的なものと同じように、表現した内容で評価いただきたいじゃない。声褒められるたびに、「また声だけかー」と、ちょっと思ってしまうの。まあ、声以上に褒められる演技ができてないって事なんだろうけど。
そういや最近では、発話に影響与えないよう、なるべく落ちついて喋ろうとする癖も出てきて、それがいらんところで句読点つけてしまったり、リズムを崩してしまってるところもありそうな。汗
ま、こんな事かくと、歌を歌ってるうちの奴に「贅沢だボケ!」と怒られてしまうんだけど。そりゃまあ唄う人には声褒められるって大きいからそうだろうけど。それ言い出したら俺だって役者なので「顔や佇まいを褒められたいです!!」ドーーーーン!!<ワンピース風
と、まあ冗談めかしてかいてきたけど、最近褒められの声ばかりだから、ひょっとして「演技に慣れ」が生まれてきてて、以前ほど熱量の高い演技をしなくなってしまってたり、成長のプラトーが発生してたりしてるんじゃないかなとちょっと思ったり。
よくよく考えれば、普通の尺の芝居を最近してないしね。仕方ないのかもだけど。そこを仕方ないって思ってるところが既に慣れなんだろうなあ。
いかんいかん。
物創るのに慣れは最大の敵です。
そもそも、まだ全然上手くもないのに。
そう思えば、声しか褒められないのは仕方ないと戒めないとね。
声褒めてもらえるだけましかと。
でも高望みしたいんです!ドーーーーン!!
次は「トランス」のオカマ役をやる予定なんで、精一杯ぶつかろうとおもいます。
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